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全音ピアノピース物語

全音ピアノピースとは?
 ピースpieceとは、一切れ、一片の意。作曲家たちが残した数多あるピアノ曲集の中から、好きなものを好きな分だけ、ほんの一曲、二曲 からでも自由に手に取ることができる楽譜。それが全音ピアノピースです。
スクリブナー・ラジオ・ミュージック・ライブラリー 全音ピアノピースの歴史をひも解くと,その発売に向けた研究は昭和6年にスタートしました。全音楽譜出版社が設立されたこの年、あるピアノ曲集がアメリカで出版されました。ラジオで流れる人気のピアノ曲と歌曲が、全9巻にまとめられた「スクリブナー・ラジオ・ミュージック・ライブラリー」です(The Scribner Radio Music Library. C. Scribner’s sons, 1931, New York, Edition by Albert E. Wier)。
 このうち第1〜4巻までを当時の全音スタッフが買い求め、そこに収められている作品をピース販売し、日本でも紹介しようとしていた形跡が、手書きの文字で残されています。ベートーヴェンの「月光」やモーツァルトの「トルコ行進曲」、バッハの「メヌエット」など、ピースでいち早く紹介されてきた有名曲は、この「ラジオ・ミュージック・ライブラリー」を参考に選ばれていたのです。

ピース楽譜、花の時代
各社のピアノピース(昭和初期) 日本が西洋音楽を本格的に受容しはじめたのは明治時代のこと。西洋音楽が学校の中で教えられ、裕福な家庭には少しずつピアノが普及していきました。大正時代から太平洋戦争が始まる昭和16年までは、日本でも多くの楽譜出版社が開業し、さまざまなピアノピース譜が売られるようになります。セノオ楽譜出版社、白眉出版社、東京音楽書院、好楽社、鶏鳴社といった出版社から、表紙の美しい数々のピースが発売されました。楽譜が今よりもまだ珍しく、本格的な曲集などは手に入りにくかったころ、ピースは人々が近付きやすく、手に入れやすい楽譜として定着していったのでしょう。

戦争を乗り越えて
 しかしそれらのピースは、第二次大戦を境にして次第に姿を消していきます。紙を含めた物資が乏しくなり、戦時中に廃業をやむなくされた出版社も少なくありませんでした。その頃発売されたピースの多くは、藁半紙のような紙質へ。耐久性に乏しくなり、楽譜店や家庭のピースたちが、どれだけ戦火で焼けて消えてしまったか知れません。ピース受難の時代です。
 やがて迎えた戦後、昭和20年代初めには、かつて華々しくピアノの譜面台を彩ったピースの文化が、装いも新たに再スタートすることとなりました。全音楽譜出版社は昭和22年9月13日に株式会社として再出発し、その半年後には60曲のピースが発売されたのです。

昭和23年3月25日発行  No. 39「マツルカ
(變ロ長調)F. Chopin」 昭和23年当時のピアノピース出版リスト

どの家庭にもピース譜が
昔のピース 日本が豊かさを取り戻そうと邁進した高度経済成長の時代、多くの一般家庭でピアノ音楽を楽しむゆとりが生まれ、子供たちへのピアノ教育が盛んになっていきました。全音ピースの裏表紙の一覧に並ぶ楽曲数も、時代の反映を映すかのように、60曲から100曲、200曲と次第にレパートリーが増えます。さらに、戦前発売のピースにはほとんど見られなかった、日本の作曲家たちによる作品もラインナップに加えられます。ヴァラエティーに富んだピアノ曲の数々が、子供たちの小遣いで買える価格でアクセスできるようになったのです。

現在のピース

 現在のピース・レパートリーはおよそ500曲。それらに通し番号はつけられているものの、上記のような発行の流れから、時代順や作曲家順といった並びにはなっていません。誰もが知る定番曲も、今となってはその名はほとんど忘れられつつある作曲家の傑作も、一定の価格帯の中に並び、息をひそめるようにしてあなたの手に取られることを待っています。ずらりと並ぶ華奢な楽譜たちの中から、「とっておきの一曲」を発見する喜びを。ピースはいつでもアプローチ可能な、ピアノ曲世界への窓口です。

飯田有抄(音楽ライター)